猫を題材にした小説随筆や猫好き作家をご紹介
by suzielily
以前の記事
2021年 11月2021年 01月
2020年 12月
more...
カテゴリ
全体猫書籍
文学
Cat Salon,猫カフェ
猫写真、猫関連
猫TV,movie
音楽、music
本のまくらquiz
TVドラマ、movie
初めまして introducing
野球、baseball
猫
サンドバーク
フォロー中のブログ
エコ猫な人々すみやのひとり言・・・
路地猫のひとり言
ヒトは猫のペットである
春待ち日記
たびねこ
ちりめん戯縫
4にゃん日記+
猫イズム
のらマニア ~長崎ぶらぶら猫~
浅草・銀次親分日記
シェークスピアの猫
ぎんネコ☆はうす
ルドゥーテのバラの庭のブログ
猫と文学とねこブンガク
外部リンク
- A Cat, a Cam...
- 猫と文学と猫ブンガク
- 音楽酒場 since 2005
- 猫と犬が好き 「のらねこ...
- ネコすべな日々
- 中年男の奮闘記パート2
- ようこそ「猫カフェCla...
- ネコキャバではない。
- The Kitten C...
- タマちゃんの旅ブログ
- 著書紹介
最新の記事
サンドバーグ「霧」 |
at 2021-11-01 17:15 |
ポー「マリー・ロジェの謎」 |
at 2021-01-17 05:34 |
ねこ書籍記事過去ログ |
at 2021-01-01 00:00 |
文学記事過去ログ |
at 2021-01-01 00:00 |
渋谷、大貫、伊藤鼎談2020 |
at 2020-12-27 18:49 |
最新のトラックバック
ご注意 notice
野球川柳、写真、英文記事等は無断転載禁止。 コメント下さった方、有難うございます。
ライフログ
検索
タグ
三島由紀夫ファン
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
向田邦子ふたたび
文春文庫の「向田邦子ふたたび」を借りた。
表紙はコラット種の猫、マミオを抱きかかえる向田さんの写真。
以下、「マハシャイ・マミオの死」より抜粋。文は須賀三郎、写真は飯窪俊彦。
「向田さんのエッセイにしばしば登場して、読者にはおなじみの雄猫である。(略)
『可愛かったですねえ、まるで銀色のおハギみたいで……。(略)』」
「当時、霞町のアパートには、家を出る時に連れてきたシャム猫の伽俚伽が同居していた。」
「『聞き馴れない名前だが、父の説明によると十六羅漢の一体で、唯ひとりの女の仏様だという。』(『眠る盃』所収『伽俚伽』)」
「あの思いもよらない悲惨な事故のあと、(略)お通夜には、(略)大勢弔問に訪れたが、マミオを見た人はほとんどいないはずである。
マミオは、向田さんの死後、一歩も自分の部屋から出ようとしなかったのだ。」「納骨がすんでしばらく、マミオは荒れた。(略)『マミオにしてみれば、悪いことをしていたんじゃないと思うんですよ。
姉が玄関の前に立ったとたんに、もうニャンと迎えの声を出すほど姉一辺倒の猫ですからね。』」
「引越しの日、車に乗せられたマミオは、少し鳴いた。しかし、すぐ、あきらめたようにおとなしくなった。」
「それでも、マミオは和子さんによくなつき、店から帰ってくると足音を聞きわけるようにまでなった。」
「昭和六十年7月十三日、十六歳でマミオは死んだ。」
以下、山口瞳の「向田邦子は戦友だった」より、抜粋。
「昭和五十五年の七月十七日の午後八時ちかく、意外にも向田邦子は劣勢だった。(略)私は(略)直木賞銓衝委員会に出席していた。(略)その少し前、芥川賞銓衝委員である丸谷才一に、こんなことを言われていた。『銓衝委員になって、いちばん辛いことは、候補者に自分より小説がうまい人がいるときね』
向田邦子はあきらかに、私より上手だった。(略)委員会は最終段階に入っていて、志茂田景樹の『黄色い牙』と向田邦子の『思い出トランプ』のうちの三作が残っていて、志茂田を七点とすれば向田は四・五から五点という状況だった。」
「『じゃあ、二作受賞にしようか』と誰かが言い、」
そして、受賞後の山口氏と向田氏の会話である。
「私は彼女にこんなことも言った。(略)『自分に近しい人間で、僻み猜み妬みがあるんだ。(略)』『インテリ美人が特に狙われる』」
インテリ美人…ここで、今話題のSTAP細胞の件に思い至る。
脱線したので、向田本に戻して、
「私は、『週間新潮』に、十八年にわたって見開き頁の随筆を連載している。向田邦子もライヴァル誌である『週刊文春』に、同じものを連載していた。(略)
私自身の原稿の出来の悪い週は、まことに憂鬱だった。これは向田邦子出現以後のことである。」
妹の和子さんの経営する「ままや」で通夜が行われた。
「私はTV関係者の席を見た。吉村実子もいしだあゆみも目を赤く泣き脹らしている。(略)『直木賞をとらなければ……』
豊田もまた、そう思っているのかもしれない。」
仕事の依頼が増えたのだろうか、台湾に取材旅行へ。その時の航空機事故であった。山口氏と豊田氏が言われるのはそのことであろうか。
「私より小説も随筆もうまい」と山口氏は言われるが、本書に寄稿されている桐島洋子氏も似たようなこと(=“出来すぎた小姑をもった不出来な嫁“)を言われている。
山口瞳、桐島洋子と共に熱狂的なファンの多い才能の持ち主である。彼らが敵わない、と認めた向田さん。
本田靖春の「賢姉愚弟」より、抜粋。
「私はA局のFというプロデューサーの(略)『誘拐』のテレビ化を彼の手にゆだねたのだが、柴秀三郎氏による第一回の脚本が仕上がった段階で、(略)企画はいったん宙に浮いてしまった。」
「吉展ちゃん事件を犯人小原保の側から描いた『誘拐』が、明るい内容であるはずがない。」「スタッフに主演の小原保役として泉谷しげるを推薦したのも向田さんである。(略)
作品が完成して、局の試写室で小原を演じる泉谷の姿が映し出されたとき、誇張ではなく私の背中を冷たいものが走った。私は実際の小原は知らない。しかし、泉谷は取材と執筆を通じて私の脳裏に結ばれた小原の像そのものであり、」
「放送日の朝、わが家でとっている四紙すべて、テレビ評で『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』を大きく取り上げていた。」「開局いらい最高の視聴率をあげ、その年のテレビ・ドラマに与えられる目星い賞をすべてさらうのである。」
向田氏がこのドラマに間接的に関わっておられたとは知らなかった。
以前、青木るえか氏が週刊文春の連載で、泉谷しげるのその演技を「あの誘拐犯役が凄かったので騙された」といったほめ殺し?(内容うろ覚えで、すみません)をしていた。あの役以外ではいつも彼の地のままで、凡庸に見えるということだろう。同じことを考えていたので覚えていた。
それが最近、あの時の泉谷しげるを思わせる演技を久々に見た。
ドラマ「緊急取調室」に出ていた、二世代の国会議員に仕える老秘書。二代目議員(神保悟史)の妻にも、支援者にも人望のある誠実な男。支援者たちは「あんたがついていながら、若先生は何だよ」と、秘書に言う。
上品な初老のゲスト俳優を、最初は誰か分からなかった。泉谷しげるだ、ということに気がついて唸った。
ユーチューブで「吉展ちゃん事件」のドラマは見られるのだろうか?
表紙はコラット種の猫、マミオを抱きかかえる向田さんの写真。
以下、「マハシャイ・マミオの死」より抜粋。文は須賀三郎、写真は飯窪俊彦。
「向田さんのエッセイにしばしば登場して、読者にはおなじみの雄猫である。(略)
『可愛かったですねえ、まるで銀色のおハギみたいで……。(略)』」
「当時、霞町のアパートには、家を出る時に連れてきたシャム猫の伽俚伽が同居していた。」
「『聞き馴れない名前だが、父の説明によると十六羅漢の一体で、唯ひとりの女の仏様だという。』(『眠る盃』所収『伽俚伽』)」
「あの思いもよらない悲惨な事故のあと、(略)お通夜には、(略)大勢弔問に訪れたが、マミオを見た人はほとんどいないはずである。
マミオは、向田さんの死後、一歩も自分の部屋から出ようとしなかったのだ。」「納骨がすんでしばらく、マミオは荒れた。(略)『マミオにしてみれば、悪いことをしていたんじゃないと思うんですよ。
姉が玄関の前に立ったとたんに、もうニャンと迎えの声を出すほど姉一辺倒の猫ですからね。』」
「引越しの日、車に乗せられたマミオは、少し鳴いた。しかし、すぐ、あきらめたようにおとなしくなった。」
「それでも、マミオは和子さんによくなつき、店から帰ってくると足音を聞きわけるようにまでなった。」
「昭和六十年7月十三日、十六歳でマミオは死んだ。」
以下、山口瞳の「向田邦子は戦友だった」より、抜粋。
「昭和五十五年の七月十七日の午後八時ちかく、意外にも向田邦子は劣勢だった。(略)私は(略)直木賞銓衝委員会に出席していた。(略)その少し前、芥川賞銓衝委員である丸谷才一に、こんなことを言われていた。『銓衝委員になって、いちばん辛いことは、候補者に自分より小説がうまい人がいるときね』
向田邦子はあきらかに、私より上手だった。(略)委員会は最終段階に入っていて、志茂田景樹の『黄色い牙』と向田邦子の『思い出トランプ』のうちの三作が残っていて、志茂田を七点とすれば向田は四・五から五点という状況だった。」
「『じゃあ、二作受賞にしようか』と誰かが言い、」
そして、受賞後の山口氏と向田氏の会話である。
「私は彼女にこんなことも言った。(略)『自分に近しい人間で、僻み猜み妬みがあるんだ。(略)』『インテリ美人が特に狙われる』」
インテリ美人…ここで、今話題のSTAP細胞の件に思い至る。
脱線したので、向田本に戻して、
「私は、『週間新潮』に、十八年にわたって見開き頁の随筆を連載している。向田邦子もライヴァル誌である『週刊文春』に、同じものを連載していた。(略)
私自身の原稿の出来の悪い週は、まことに憂鬱だった。これは向田邦子出現以後のことである。」
妹の和子さんの経営する「ままや」で通夜が行われた。
「私はTV関係者の席を見た。吉村実子もいしだあゆみも目を赤く泣き脹らしている。(略)『直木賞をとらなければ……』
豊田もまた、そう思っているのかもしれない。」
仕事の依頼が増えたのだろうか、台湾に取材旅行へ。その時の航空機事故であった。山口氏と豊田氏が言われるのはそのことであろうか。
「私より小説も随筆もうまい」と山口氏は言われるが、本書に寄稿されている桐島洋子氏も似たようなこと(=“出来すぎた小姑をもった不出来な嫁“)を言われている。
山口瞳、桐島洋子と共に熱狂的なファンの多い才能の持ち主である。彼らが敵わない、と認めた向田さん。
本田靖春の「賢姉愚弟」より、抜粋。
「私はA局のFというプロデューサーの(略)『誘拐』のテレビ化を彼の手にゆだねたのだが、柴秀三郎氏による第一回の脚本が仕上がった段階で、(略)企画はいったん宙に浮いてしまった。」
「吉展ちゃん事件を犯人小原保の側から描いた『誘拐』が、明るい内容であるはずがない。」「スタッフに主演の小原保役として泉谷しげるを推薦したのも向田さんである。(略)
作品が完成して、局の試写室で小原を演じる泉谷の姿が映し出されたとき、誇張ではなく私の背中を冷たいものが走った。私は実際の小原は知らない。しかし、泉谷は取材と執筆を通じて私の脳裏に結ばれた小原の像そのものであり、」
「放送日の朝、わが家でとっている四紙すべて、テレビ評で『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』を大きく取り上げていた。」「開局いらい最高の視聴率をあげ、その年のテレビ・ドラマに与えられる目星い賞をすべてさらうのである。」
向田氏がこのドラマに間接的に関わっておられたとは知らなかった。
以前、青木るえか氏が週刊文春の連載で、泉谷しげるのその演技を「あの誘拐犯役が凄かったので騙された」といったほめ殺し?(内容うろ覚えで、すみません)をしていた。あの役以外ではいつも彼の地のままで、凡庸に見えるということだろう。同じことを考えていたので覚えていた。
それが最近、あの時の泉谷しげるを思わせる演技を久々に見た。
ドラマ「緊急取調室」に出ていた、二世代の国会議員に仕える老秘書。二代目議員(神保悟史)の妻にも、支援者にも人望のある誠実な男。支援者たちは「あんたがついていながら、若先生は何だよ」と、秘書に言う。
上品な初老のゲスト俳優を、最初は誰か分からなかった。泉谷しげるだ、ということに気がついて唸った。
ユーチューブで「吉展ちゃん事件」のドラマは見られるのだろうか?
by suezielily
| 2014-03-29 16:49
| 猫書籍