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フラニーとズーイ

 村上春樹訳のJ.D.サリンジャーの「フラニーとズーイ」を借りた。
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まず、野崎孝訳の「フラニーとゾーイー」より。一九六八年八月に新潮社より刊行。
「フラニー」より、引用。
「 週の初めからずっとトップコートですませる陽気が続いていたし、この週末も、イェールと対抗のフットボールの試合が行われる特別の週末なだけに、この調子であってほしいと誰しもが願っていたのに、土曜の朝は、太陽こそまばゆいくらいに照っていたけれど、またまたオーバーのほしい天気に逆戻りだった。」
「 レーン・クーテルは、吹きさらしのプラットホームに出ていた六、七人の中の一人だった。いや、一人であって、一人ではなかった、と言うべきか。ほかの連中の話の輪には加わらず、ボタンどめのウールの裏地をつけているとおぼしいバーバリのレーンコートを着て、彼らからは意識的に離れ、クリスチャン・サイエンスの宣伝パンフレットをのせた台に背をもたせながら、レーンコートのポケットに両手を突っ込んだまま、十分、あるいはそれ以上も立ちつくしていたのだから。」
村上春樹訳の「フラニーとズーイ」より、同じ箇所。
Published 2014 in Japan by Shinchosha Company、平成二十六年三月一日発行。
「 土曜の朝、空は見事に晴れ上がっていたものの、オーバーコートが必要な気候がまた戻っていた。その週はずっとトップコートで間に合っていたから、イェール大学との試合のある大事な週末まで陽気がうまくもってくれればと誰もが望んでいたのに。」
「 レーン・クーテルは吹きさらしのプラットホームに出ている、六人か七人のうちの一人で、着脱可能なウールのライナーが内側についているとおぼしき、バーバリのレーンコートに身を包んでいた。もっともうちの一人とは言っても、彼らの仲間に入っているのではなさそうだ。というのはこの十分かそこら、彼はほかの学生たちとは意識して距離を置き、会話の輪から少し外れたところに立ち、『クリスチャン・サイエンス』の無料パンフレット棚に背中をもたせかけ、手袋をはめていない両手をコートのポケットに突っ込んでいたからだ。」
 原文、ただし冒頭部分の一部分は、
「THOUGH brilliantly sunny, Saturday morning was overcoat weather again, not just topcoat weather, as it had been all week and as everyone had hoped it would stay for the big weekend— the weekend of the Yale game.」となっている。
 サリンジャーの意向に従ったのか、巻末に解説もあとがきも無いのが、村上春樹訳。野崎訳にはなぜそうなのか、は「ナイン・ストーリーズ」に記述されているので、「フラニーとゾーイー」にもその旨が書かれている。
 原書が手元に無いので、飜訳版での印象を書く。
 私は「フラニー」の冒頭部分が好きである。何年かぶりで読み返してみたサリンジャーは、というか野崎訳のいくつかは、どの作品も書き出しがとても洒落ている。
「太陽こそまばゆいくらいに照っていたけれど」には時代を反映しているというか、カミュの「異邦人」を連想させる。
「『クリスチャン・サイエンス』の無料パンフレット棚」というと、私にはそのローカル駅の運営に、クリスチャン・サイエンスが関わっているのだろうか?、という印象を持ってしまうのだが。
「クリスチャン・サイエンスの宣伝パンフレットをのせた台」だと、単にその宗教団体が駅の構内の待合室にある棚だか台だかに、勝手に、あるいは駅員の許可を得て置いているのだろうか。
と、思っていたら「ズーイー」にもクリスチャン・サイエンス教会の創始者の名前が登場するのだ。となると、お二人のどちらの解釈も正解が分からない…
 フラニーの恋人のレーン。せっかく気の張ったレストランでのデートの場を情緒不安定なフラニーに台無しにされて…というのが、まあ大方の男性が持つ感想だろう。
フラニーはレーンとの会話で、(以下、野崎訳)
「ウォーリーがどうっていうんじゃないの。女の子だっていいんだわ。かりに女の子だとするでしょ――たとえば、わたしの寮の誰かでもいいのよ。――そんな場合は、夏じゅう、どこかの劇場専属の劇団で背景を描いてたなんてことになるのよ。あるいは、ウェールズを自転車で駆けまわったとか。ニューヨークにアパートを借りて、雑誌社だとか広告会社のアルバイトをやったとか。要するに、誰も彼もなの。やることがみんな、とてもこう――何ていうかなあ――間違ってるっていうんじゃない。いやらしいっていうんでもないわ。馬鹿げてるっていうんでもないの、必ずしも。でも、なんだか、みみっちくて、つまんなくて――悲しくなっちゃう。そして、いちばんいけないことはね、かりにボヘミアンの真似をするとかなんとか、とんでもないことをするとするでしょ、そうすると、それがまた、種類が違うというだけで、型にはまってる点ではみんなとまったく同じことになってしまうのよ。」と言う。全編がこんな調子だ。
小説の冒頭では(村上訳)「バーバリのレーンコートに身を包んでいた。もっともうちの一人とは言っても、彼らの仲間に入っているのではなさそうだ。というのはこの十分かそこら、彼はほかの学生たちとは意識して距離を置き、会話の輪から少し外れたところに立ち、」というレーンは、「僕は他の学生とは違うんだ」という自意識の高い、お洒落でハンサムな大学生である。なのに、フラニーは(多分)レーンのこともその他大勢の学生と同じだ、と思っている。
そして自分自身についても、イライラを募らせる。
そんなフラニーを持て余しつつ、彼女の持っている「巡礼の書」という一冊の小さな宗教書にレーンが気にとめるくだりが、
「"The little book in my bag?" Franny said. She watched him disjoint a pair of frogs' legs. Then she took a cigarette from the pack on the table and lit it herself. "Oh, I don't know," she said. "It's something called 'The Way of a Pilgrim.' " She watched Lane eat for a moment. "I got it out of the library. This man that teaches this Religion Survey thing I'm taking this term mentioned it." She dragged on her cigarette. "I've had it out for weeks. I keep forgetting to return it."」である。
 その宗教書について熱く語るフラニーであるが、レーンは何か対抗意識があるのか、自分が出版しようか迷っているという論文を彼女が読んでくれたらなあ、なんぞと彼女にも彼女が夢中になっていることにも関心が無い。
 ただひたすら祈る、祈りをくり返していると量が質に変わる…といったことが書かれていた。フラニーが要約する、その宗教書に登場する巡礼と家族も、実に純朴な人々だ。
 フラニーを演じるなら、やはり若い頃のジョディー・フォスターしかいない、彼女の映像を浮かべながら読んでいた。実際、ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」でジョディーは同じ名前のヒロインである「フラニー」を演じていたことだし!
で、レーンとゾーイー、これも若い頃のマシュー・モディーンが一人二役。彼しかいないでしょう。
同じく「ホテル・ニューハンプシャー」ではラグビー部のエリート学生で、実に鼻持ちならない嫌な奴と、主人公一家がドイツに移住してからのパートでは、これまた嫌な男の役を二役演じていたマシューである。
「バーディー」という映画では、どこかシーモア・グラースを思わせる自閉症の少年を演じていたマシューであるから。(バーディーを現実に引き戻そうとする友人役が、ニコラス・ケージ)
 うちの母が、アンソニー・パーキンスのことを「バンビちゃん」と言うのだね。
ヒッチッコック映画の(ある意味)“呪われた”名作、「サイコ」に出演する以前の「トニ・パキ」はアイヴィー・プリンスであったそうだから。そうか、ゾーイやシーモアの役は、A・パーキンスもアリだな…
もはや亡くなっておられたり、若くはなかったりで、無いものねだりもいいところだけど。
脈絡無く連想が続いたところで…例の事件のせいで、テレンス・スタンプが演じた「コレクター」もネット上のどこかで、槍玉にあげられているんだろうなあ。
The Smithsの「What Difference does it make」のジャケットに「コレクター」の一場面が使われていたけども。
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夜の樹 (新潮文庫)

トルーマン カポーティ / 新潮社


ガープの世界〈上・下〉 (1983年)

ジョン・アーヴィング / サンリオ


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by suezielily | 2016-05-04 17:20 | 文学