猫を題材にした小説随筆や猫好き作家をご紹介
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追悼の文学史
講談社文芸文庫の「追悼の文学史」を借りた。
文芸誌「群像」に掲載された追悼文を年代順に収録してある。
以下、目次。追悼文を寄せられた文士と寄稿した人々。
「佐藤春夫(1892-1964) 江口渙、丸岡明、奥野信太郎、亀井勝一郎、長谷川幸雄、冨沢有為男、丹阿弥谷津子、山本健吉、室生朝子、吉行淳之介、檀一雄、柴田錬三郎、中谷孝雄、高田博厚、石坂洋次郎」
「高見順(1907-1965) 田村泰次郎、新田潤、吉行淳之介、円地文子、本多秋五、井上靖、平野謙」
「広津和郎(1891-1968) 細野菊、尾崎一雄、丹羽文雄、伊藤整、中野重治、佐多稲子、松本清張、広津桃子」
「三島由紀夫(1925-1970) 『三島君の精神の裸体』舟橋聖一、『三島由紀夫の思い出』阿川弘之、『奇妙な友情』瀬戸内晴美、『択びすぎた作家』河野多惠子、『三島由紀夫の死と私』森茉莉、『文体と肉体』上田三四二」「志賀直哉(1883-1971)細野菊、藤枝静男、瀧井孝作、上司海雲、阿川弘之」「川端康成(1899-1972) 武田泰淳、中村真一郎、円地文子、丹羽文雄、大庭みな子、佐多稲子、井上靖、竹西寛子、小田切進、舟橋聖一」
この六人の文士の中で、一番若くして亡くなっているからか、三島由紀夫を「先生」と呼びかけている人はいない。「先生」と書かれているのは、佐藤春夫と志賀直哉。全員がそう書いているわけではない。意外にも、川端康成に書いた十名で「先生」と書いている人がいない。勿論、各人が亡くなってごく間もなく「群像」に掲載された追悼文のみである。
寂聴ではなくて、瀬戸内晴美名義になっているのに注目。彼女がよせた追悼文は副題に「美は乱調にあり、諧調は譌である。 大杉栄」とある。
佐藤春夫に興味を持ったのは、日本文学の英訳本を沢山所持している米国人の友人夫妻がきっかけである。
大学の国語学科を卒業し、漱石を始め、新潮などの日本文学の文庫を多く所持する妹の本棚でさえ、見た事がない作家であった。「谷崎潤一郎の細君譲渡の…」と言われて、ああ、そうかという程度の知識しかなかった。その友人と知り合ったほぼ同じ頃、猫を題材にした小説や随筆を探し始め、すぐに「猫と庄造と二人のをんな」に辿り着いた。それ程好きではなかった谷崎の小説を次々と読んだ。
「蓼喰う虫」が谷崎、佐藤、谷崎夫人だった女性をモデルに(厳密に言うと、いささか異なるようだが)した小説であると知り、佐藤春夫らしき人物には小説を通じて好感を持った。
広津和郎の父上である広津柳浪の「今戸心中」は大変面白く読んだ。
広津和郎の作品(ほぼ私小説の趣き)は、菊池寛と組み合わせた選集を借りた時に初めて読んだ。
宇野浩二が斉藤茂吉の脳病院に連れて行かれた時に付き添ったのが、広津と芥川龍之介であった、という短編がある。面白がってはいけない状況なのであるが、深刻な話になりがちなのをユーモラスに書いてあった。
しかも文士のオールスターキャストで。
宇野浩二はその後、見事に回復したのであるが芥川については、周知のとおりである。
広津氏の経歴のなかで、中村光夫氏との「『異邦人』論争」がある。これは、カミュ(親戚にあたるハンサムな青年が達者な日本語で芸能人活動をしておられるが…セイン・カミュのことです)の「異邦人」のことであろうが、詳細をご存知の方、ご教示を。
(多分、「あれが小説か」とか、明確な理由も無く人を殺した主人公の事を理解に苦しむとか、そういった事だろうが)
以下、井上靖「『死の淵より』について」より。
井上靖は高見順の「巡礼」という詩を引用している。
「人工食道が私の胸の上を 地下鉄が地上を走るみたいに あるいは都会の快適な高速道路のように
人工的な乾いた光りを放ちながら のどから胃に架橋されている 夜はこれをはずして寝る そうなると水を飲んでももはや胃へは行かない (略) シュールリアリズムのごとくだがこれが私の現実である
私にまだ食道があった頃 東パキスタンのダッカからB・O・A・C機で インドのカルカッタへ飛んだ 機上から見たガンジス河のデルタ地帯は 超現実派の画のように美しかった (略) 自然ひと知れずその内部にシュールリアリズムを蔵しているのだ (略) おおいま私は見る 涅槃を目ざして 私の人工食道の上をとぼとぼ渡って行く巡礼を 現実とも超現実ともわかちがたいその姿を私は私の胸に見る」
丹羽文雄の「川端さんの死に就いて」より。
「日本文芸家協会の二十六回の定期総会があった。会長の挨拶として、私はつぎのようなことを話した。 『(略)娘がやって来て、孫のことを話した。(略)三島由紀夫が自殺した、いままた川端康成が自殺した、うちのおじいさんも自殺するのではないか。おじいさんが自殺すると、ぼく悲しいんだと泣いていたというのである。娘は、うちのおじいさんに限って、そんな心配はない、(略)と慰めると、孫は安心して眠ったといい、(略)九歳の幼い心にも、文学者の自殺は大きなショックであった。私がこのような話を持ち出すのも、協会員の中には、何人かの作家が睡眠薬を使用しているからである。笑い話ではない。協会員は自分の生命を大切にしてほしい。生きて達者で仕事をしていることだけが財産である』」
松本清張の「松川裁判の『愉しみ』」より。
「松川裁判には二百五十人の弁護人が参加した。弁護団としてはこれまで最大の数だろう。だが、弁護団の発言が新聞などに報道されるのは法廷が開かれているときだけである。つまり、その時だけしか、世間の関心はないのである。(略)しかるに松川の場合は、年がら年中広津氏の裁判批判が雑誌につづけられているので、世間の関心は高められはすれ、遠ざかることはなかった。これは広津氏が文筆家としての特権を十分に活用したからであって、いかなる弁護士にも不可能なことであった。」
この素晴らしい企画の本は、「第一弾」とあるので、漱石や森鴎外、芥川、菊池寛への追悼文で第二弾を出して頂きたく思う。
私が期待しているのは文士が「あの時が、今思えば今生の別れであった」と先立った文士の最後の出会いを語った文章だけを編集した書籍なのであるが。
私が知るのは、野上弥生子が芥川龍之介のことを書いた文と澁澤龍彦が三島由紀夫のことを書いた文の二つだけである。
文芸誌「群像」に掲載された追悼文を年代順に収録してある。
以下、目次。追悼文を寄せられた文士と寄稿した人々。
「佐藤春夫(1892-1964) 江口渙、丸岡明、奥野信太郎、亀井勝一郎、長谷川幸雄、冨沢有為男、丹阿弥谷津子、山本健吉、室生朝子、吉行淳之介、檀一雄、柴田錬三郎、中谷孝雄、高田博厚、石坂洋次郎」
「高見順(1907-1965) 田村泰次郎、新田潤、吉行淳之介、円地文子、本多秋五、井上靖、平野謙」
「広津和郎(1891-1968) 細野菊、尾崎一雄、丹羽文雄、伊藤整、中野重治、佐多稲子、松本清張、広津桃子」
「三島由紀夫(1925-1970) 『三島君の精神の裸体』舟橋聖一、『三島由紀夫の思い出』阿川弘之、『奇妙な友情』瀬戸内晴美、『択びすぎた作家』河野多惠子、『三島由紀夫の死と私』森茉莉、『文体と肉体』上田三四二」「志賀直哉(1883-1971)細野菊、藤枝静男、瀧井孝作、上司海雲、阿川弘之」「川端康成(1899-1972) 武田泰淳、中村真一郎、円地文子、丹羽文雄、大庭みな子、佐多稲子、井上靖、竹西寛子、小田切進、舟橋聖一」
この六人の文士の中で、一番若くして亡くなっているからか、三島由紀夫を「先生」と呼びかけている人はいない。「先生」と書かれているのは、佐藤春夫と志賀直哉。全員がそう書いているわけではない。意外にも、川端康成に書いた十名で「先生」と書いている人がいない。勿論、各人が亡くなってごく間もなく「群像」に掲載された追悼文のみである。
寂聴ではなくて、瀬戸内晴美名義になっているのに注目。彼女がよせた追悼文は副題に「美は乱調にあり、諧調は譌である。 大杉栄」とある。
佐藤春夫に興味を持ったのは、日本文学の英訳本を沢山所持している米国人の友人夫妻がきっかけである。
大学の国語学科を卒業し、漱石を始め、新潮などの日本文学の文庫を多く所持する妹の本棚でさえ、見た事がない作家であった。「谷崎潤一郎の細君譲渡の…」と言われて、ああ、そうかという程度の知識しかなかった。その友人と知り合ったほぼ同じ頃、猫を題材にした小説や随筆を探し始め、すぐに「猫と庄造と二人のをんな」に辿り着いた。それ程好きではなかった谷崎の小説を次々と読んだ。
「蓼喰う虫」が谷崎、佐藤、谷崎夫人だった女性をモデルに(厳密に言うと、いささか異なるようだが)した小説であると知り、佐藤春夫らしき人物には小説を通じて好感を持った。
広津和郎の父上である広津柳浪の「今戸心中」は大変面白く読んだ。
広津和郎の作品(ほぼ私小説の趣き)は、菊池寛と組み合わせた選集を借りた時に初めて読んだ。
宇野浩二が斉藤茂吉の脳病院に連れて行かれた時に付き添ったのが、広津と芥川龍之介であった、という短編がある。面白がってはいけない状況なのであるが、深刻な話になりがちなのをユーモラスに書いてあった。
しかも文士のオールスターキャストで。
宇野浩二はその後、見事に回復したのであるが芥川については、周知のとおりである。
広津氏の経歴のなかで、中村光夫氏との「『異邦人』論争」がある。これは、カミュ(親戚にあたるハンサムな青年が達者な日本語で芸能人活動をしておられるが…セイン・カミュのことです)の「異邦人」のことであろうが、詳細をご存知の方、ご教示を。
(多分、「あれが小説か」とか、明確な理由も無く人を殺した主人公の事を理解に苦しむとか、そういった事だろうが)
以下、井上靖「『死の淵より』について」より。
井上靖は高見順の「巡礼」という詩を引用している。
「人工食道が私の胸の上を 地下鉄が地上を走るみたいに あるいは都会の快適な高速道路のように
人工的な乾いた光りを放ちながら のどから胃に架橋されている 夜はこれをはずして寝る そうなると水を飲んでももはや胃へは行かない (略) シュールリアリズムのごとくだがこれが私の現実である
私にまだ食道があった頃 東パキスタンのダッカからB・O・A・C機で インドのカルカッタへ飛んだ 機上から見たガンジス河のデルタ地帯は 超現実派の画のように美しかった (略) 自然ひと知れずその内部にシュールリアリズムを蔵しているのだ (略) おおいま私は見る 涅槃を目ざして 私の人工食道の上をとぼとぼ渡って行く巡礼を 現実とも超現実ともわかちがたいその姿を私は私の胸に見る」
丹羽文雄の「川端さんの死に就いて」より。
「日本文芸家協会の二十六回の定期総会があった。会長の挨拶として、私はつぎのようなことを話した。 『(略)娘がやって来て、孫のことを話した。(略)三島由紀夫が自殺した、いままた川端康成が自殺した、うちのおじいさんも自殺するのではないか。おじいさんが自殺すると、ぼく悲しいんだと泣いていたというのである。娘は、うちのおじいさんに限って、そんな心配はない、(略)と慰めると、孫は安心して眠ったといい、(略)九歳の幼い心にも、文学者の自殺は大きなショックであった。私がこのような話を持ち出すのも、協会員の中には、何人かの作家が睡眠薬を使用しているからである。笑い話ではない。協会員は自分の生命を大切にしてほしい。生きて達者で仕事をしていることだけが財産である』」
松本清張の「松川裁判の『愉しみ』」より。
「松川裁判には二百五十人の弁護人が参加した。弁護団としてはこれまで最大の数だろう。だが、弁護団の発言が新聞などに報道されるのは法廷が開かれているときだけである。つまり、その時だけしか、世間の関心はないのである。(略)しかるに松川の場合は、年がら年中広津氏の裁判批判が雑誌につづけられているので、世間の関心は高められはすれ、遠ざかることはなかった。これは広津氏が文筆家としての特権を十分に活用したからであって、いかなる弁護士にも不可能なことであった。」
この素晴らしい企画の本は、「第一弾」とあるので、漱石や森鴎外、芥川、菊池寛への追悼文で第二弾を出して頂きたく思う。
私が期待しているのは文士が「あの時が、今思えば今生の別れであった」と先立った文士の最後の出会いを語った文章だけを編集した書籍なのであるが。
私が知るのは、野上弥生子が芥川龍之介のことを書いた文と澁澤龍彦が三島由紀夫のことを書いた文の二つだけである。
by suezielily
| 2013-09-28 19:34
| 文学