猫を題材にした小説随筆や猫好き作家をご紹介
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見出された恋 「金閣寺」への船出
TBSの朝の情報番組に出演中の、「ハコちゃん」だったか、そういうあだ名で呼ばれるおネエキャラの男性が人気上昇中である。
その岩下尚史の著作を最近二冊、読んだ。いずれも三島由紀夫絡みであるが。
岩下尚史の「見出された恋 『金閣寺』への船出 」(文春文庫) より、まず目次を抜粋。
「次第/みそめ/稽古帰り/わたり初め/銀馬車/二の酉/シャンパーニュ・ロゼ/夏の嵐/予言/目黒の家/葡萄牙/祇園町の宿/月の桂/願掛/水槽の中/アメリカンファーマシー/残り留」
本文より、抜粋。
「曖昧な笑顔で受け流す夫人の心に気付いたものか、女師匠は番附を繰りながら、『初演は昭和三十三年とありますわ。もう、そんなになるかしらねえ。(略)』
(略)
『後になって赤坂の芸妓たちに聞きましたのよ―あの主人公のモデルは、貴女だって云うじゃありませんか』(略)
少し前までは、あの男(ひと)のことを自分から話す事はもちろん、(略)そのたびに朧ろな言い回しで上手に避けて来た夫人である。
(略)あのひとの書いた舞踊劇を先代の振付のまま踊るという案内が、当代の家元から届いたときから、(略)想いの結び目が静かに綻びはじめたように感じていたことは確かであった。
-あの人も、奥様も、そして私の良人も、みんな彼岸へ旅立って仕舞い、私ひとりが残っている。(略)
―あれから、五十年経つなんて、ほんとうに夢のようだわ…。」
「 慶応義塾の女子高校を卒業したばかりの満佐子は十九の娘ざかり、(略)結構な身の上は、住み込みの女中が付いて手足の代わり、(略)呉服屋から届いたばかりのきものと帯を畳紙から衣桁に掛けて(略)日髪を贅沢とは知らず、(略)銀座まで車を雇って髪結に通うほかは、(略)今日も歌舞伎を見物するとあって、朝から身拵えに余念がない。」
「敗戦から九年を経て、」とあるが、昭和二十九年当時でこれだけの贅沢な生活を営む少女とは、赤坂の一流料亭の娘であった。
満佐子というのは彼女の本名ではなく、岩下氏は三島由紀夫の短編「橋づくし」の主人公の名前に変えている。
「 それもこれも、当月この女方が演目にする『生写朝顔日記』への心入れである。(略)
案内されて立ったまま、ずつと出たのは男の客である。(略)
今見た客に見覚えがあるような気がしてならない。(略)
満佐子の席から(略)
小走りで駆け込んだ男の後姿が見えた―、と直ぐ後ろの席の辺りから、
『あれよ、ほら、今売り出しの―』と、(略)或る小説家の名前をさゝやき合う、若そうな女客たちの声と声―。
(略)あの小説家だったのか、と心づいた時、(略)風を孕んだ帆のような幕が重そうに翻った。」
「 さて、万年橋の袂へ出た満佐子たちは、(略)眉の秀でて、眼元のすゞやかな、白皙の青年が真っ直ぐに、此方を見ながら近づいて来る。
『先日はどうも。此処の楽屋でお会いしましたね。』
(略)『はあ、その節は…』
『明日の午後は、なにか、ご用がお在り』(略)
『今の人、あの小説家でしょう―ついこの春に評判になった連載ものが、秋にはもう映画になるのよ』
(略)
『楽屋では擦れ違ったくらいで、(略)それで昨日のきものは、道行のおかるのようで可愛らしかった』
(略)
『あれは、成駒屋(うたえもん)のおにいさまが、いつかお扇子に描いてくださった絵を、呉服屋にそう言って写させましたのよ』
(略)また、この作家の好きな役者のなかには、満佐子の伯父も挙げられていて、(略)これこそ歌舞伎の美の極致であると、酔うが如き筆致で称えた記事を、(略)亡き名優が自分の身内であることを告げることもしなかった。」
ここらの描写を見ても分かるように、彼女は自分の家のことも歌舞伎の世界との関わりも殊更、「小説家」に告げようとはしない。満たされた育ちであるから、他人を羨む必要もないし、そもそも関心もないようだ。
その権高な(三島の好きな形容)、今で言う「ツンデレ」ぶりに彼は強く惹かれたようだ。
「(略) 谷崎潤一郎はじめ永井荷風や林房雄などの小説を読む合間に、勿論、この作家が告白という形で書いた小説も読んでいたから、この男が官僚の家の息子であることは知っていたが、それ以上の関心はなかった。(略)
男とは十歳も離れているし、文壇の寵児として既に世に出ていることもあって、(略)何と言ってもこの小説家の育ちの良さをあらわしていたし、(略)山の手の官吏の家の、華族では無くとも桜友会に所属する身に相応しい御曹司然とした風が、この娘には好ましかった。(略)
これが男にとって宿世としか思えないのは、女とはじめて出会った場所である。
その楽屋は、かつてこの小説家が古典的な容貌のなかに近代的な憂愁を見出して、(略)礼賛した女方の部屋であったことは、後から考えても不思議な縁であった。(略)
それでも、男が何かの話のついでに、トーマス・マンが好きだと言うのを聞けば、丸善から早速『魔の山』を取り寄せ、(略)ジイドも好きなんだ、(略)これも三冊ばかり買い込んでは、律儀に頁を捲り続けた。
なにしろ彼女の恋人は、何を聞いても、知らないという事の無い男なのである。(略)
この小説家は政治経済はもちろん、西洋の歴史や文学、(略)歌舞伎を見に行っても、(略)滅多に出ない幕の筋まで実に好く知っていた。
何でも戦時中の学生の頃に、近松全集はじめ浄瑠璃本はすべて目を通したそうで、(略)読むべき書物は粗方読み終えて仕舞い、他に読む物がなくなったせいだと聞いて、尊敬するよりも呆れたことがある。」
私が三島由紀夫をどの作家よりも最上級に尊敬する理由の一つが、まさしくそこである。
コンピューターの普及していない時代(当時でも、アメリカや旧ソ連にはあったかもしれない…?)である。
何を聞いても知らないことがない、書物を片っ端から読んでそれを自作に結実させる才能。
この表現や語彙は知らない、この漢字は読めない、どうしてこんな文章が書けるのだろう…と、感じるのは全て鴎外や漱石以降から昭和初期にかけての作家であるが、鴎外漱石からすると三島由紀夫はかなりの後輩である。それなのに彼らに負けていない。
「『具合が悪くて家から出られないから、家まで来て欲しい』
と言う。(略)目黒の奥なる男の家に向うことにした。(略)
『今、きみが坐っている所に、昨日は武智鉄二さんが居たんだよ』
(略)男が飼っている猫が出て来たが、これが化けそうな代物であったにもかかわらず、チルと言うんだよ、と男は言い、愛おしそうに、肌蹴た浴衣の薄い懐に抱き入れた。
老猫の次ぎに顔を出したのは、男の父親だった。」
「 海の見える窓から覗くと、舟が何艘も行き交うのが見える。店の者に尋ねると、お施餓鬼の舟だと言う。
(略)男は夜明けまで原稿用紙に向かっていた。
『昨日の舟を見ていて、きみを主人公に書けると思って(略)途中から、亭主役の爺さんのほうに重みが掛かって仕舞った。(略)』
(略)いくら短編でも男が一晩で書き上げたことには、少なからず驚いた。」
他に「美徳のよろめき」や「金閣寺」、「橋づくし」らしき小説についても書かれている。
作者が某夫人のインタビューを基に、これだけの長編小説を書き上げたことに敬意を表する。
その岩下尚史の著作を最近二冊、読んだ。いずれも三島由紀夫絡みであるが。
岩下尚史の「見出された恋 『金閣寺』への船出 」(文春文庫) より、まず目次を抜粋。
「次第/みそめ/稽古帰り/わたり初め/銀馬車/二の酉/シャンパーニュ・ロゼ/夏の嵐/予言/目黒の家/葡萄牙/祇園町の宿/月の桂/願掛/水槽の中/アメリカンファーマシー/残り留」
本文より、抜粋。
「曖昧な笑顔で受け流す夫人の心に気付いたものか、女師匠は番附を繰りながら、『初演は昭和三十三年とありますわ。もう、そんなになるかしらねえ。(略)』
(略)
『後になって赤坂の芸妓たちに聞きましたのよ―あの主人公のモデルは、貴女だって云うじゃありませんか』(略)
少し前までは、あの男(ひと)のことを自分から話す事はもちろん、(略)そのたびに朧ろな言い回しで上手に避けて来た夫人である。
(略)あのひとの書いた舞踊劇を先代の振付のまま踊るという案内が、当代の家元から届いたときから、(略)想いの結び目が静かに綻びはじめたように感じていたことは確かであった。
-あの人も、奥様も、そして私の良人も、みんな彼岸へ旅立って仕舞い、私ひとりが残っている。(略)
―あれから、五十年経つなんて、ほんとうに夢のようだわ…。」
「 慶応義塾の女子高校を卒業したばかりの満佐子は十九の娘ざかり、(略)結構な身の上は、住み込みの女中が付いて手足の代わり、(略)呉服屋から届いたばかりのきものと帯を畳紙から衣桁に掛けて(略)日髪を贅沢とは知らず、(略)銀座まで車を雇って髪結に通うほかは、(略)今日も歌舞伎を見物するとあって、朝から身拵えに余念がない。」
「敗戦から九年を経て、」とあるが、昭和二十九年当時でこれだけの贅沢な生活を営む少女とは、赤坂の一流料亭の娘であった。
満佐子というのは彼女の本名ではなく、岩下氏は三島由紀夫の短編「橋づくし」の主人公の名前に変えている。
「 それもこれも、当月この女方が演目にする『生写朝顔日記』への心入れである。(略)
案内されて立ったまま、ずつと出たのは男の客である。(略)
今見た客に見覚えがあるような気がしてならない。(略)
満佐子の席から(略)
小走りで駆け込んだ男の後姿が見えた―、と直ぐ後ろの席の辺りから、
『あれよ、ほら、今売り出しの―』と、(略)或る小説家の名前をさゝやき合う、若そうな女客たちの声と声―。
(略)あの小説家だったのか、と心づいた時、(略)風を孕んだ帆のような幕が重そうに翻った。」
「 さて、万年橋の袂へ出た満佐子たちは、(略)眉の秀でて、眼元のすゞやかな、白皙の青年が真っ直ぐに、此方を見ながら近づいて来る。
『先日はどうも。此処の楽屋でお会いしましたね。』
(略)『はあ、その節は…』
『明日の午後は、なにか、ご用がお在り』(略)
『今の人、あの小説家でしょう―ついこの春に評判になった連載ものが、秋にはもう映画になるのよ』
(略)
『楽屋では擦れ違ったくらいで、(略)それで昨日のきものは、道行のおかるのようで可愛らしかった』
(略)
『あれは、成駒屋(うたえもん)のおにいさまが、いつかお扇子に描いてくださった絵を、呉服屋にそう言って写させましたのよ』
(略)また、この作家の好きな役者のなかには、満佐子の伯父も挙げられていて、(略)これこそ歌舞伎の美の極致であると、酔うが如き筆致で称えた記事を、(略)亡き名優が自分の身内であることを告げることもしなかった。」
ここらの描写を見ても分かるように、彼女は自分の家のことも歌舞伎の世界との関わりも殊更、「小説家」に告げようとはしない。満たされた育ちであるから、他人を羨む必要もないし、そもそも関心もないようだ。
その権高な(三島の好きな形容)、今で言う「ツンデレ」ぶりに彼は強く惹かれたようだ。
「(略) 谷崎潤一郎はじめ永井荷風や林房雄などの小説を読む合間に、勿論、この作家が告白という形で書いた小説も読んでいたから、この男が官僚の家の息子であることは知っていたが、それ以上の関心はなかった。(略)
男とは十歳も離れているし、文壇の寵児として既に世に出ていることもあって、(略)何と言ってもこの小説家の育ちの良さをあらわしていたし、(略)山の手の官吏の家の、華族では無くとも桜友会に所属する身に相応しい御曹司然とした風が、この娘には好ましかった。(略)
これが男にとって宿世としか思えないのは、女とはじめて出会った場所である。
その楽屋は、かつてこの小説家が古典的な容貌のなかに近代的な憂愁を見出して、(略)礼賛した女方の部屋であったことは、後から考えても不思議な縁であった。(略)
それでも、男が何かの話のついでに、トーマス・マンが好きだと言うのを聞けば、丸善から早速『魔の山』を取り寄せ、(略)ジイドも好きなんだ、(略)これも三冊ばかり買い込んでは、律儀に頁を捲り続けた。
なにしろ彼女の恋人は、何を聞いても、知らないという事の無い男なのである。(略)
この小説家は政治経済はもちろん、西洋の歴史や文学、(略)歌舞伎を見に行っても、(略)滅多に出ない幕の筋まで実に好く知っていた。
何でも戦時中の学生の頃に、近松全集はじめ浄瑠璃本はすべて目を通したそうで、(略)読むべき書物は粗方読み終えて仕舞い、他に読む物がなくなったせいだと聞いて、尊敬するよりも呆れたことがある。」
私が三島由紀夫をどの作家よりも最上級に尊敬する理由の一つが、まさしくそこである。
コンピューターの普及していない時代(当時でも、アメリカや旧ソ連にはあったかもしれない…?)である。
何を聞いても知らないことがない、書物を片っ端から読んでそれを自作に結実させる才能。
この表現や語彙は知らない、この漢字は読めない、どうしてこんな文章が書けるのだろう…と、感じるのは全て鴎外や漱石以降から昭和初期にかけての作家であるが、鴎外漱石からすると三島由紀夫はかなりの後輩である。それなのに彼らに負けていない。
「『具合が悪くて家から出られないから、家まで来て欲しい』
と言う。(略)目黒の奥なる男の家に向うことにした。(略)
『今、きみが坐っている所に、昨日は武智鉄二さんが居たんだよ』
(略)男が飼っている猫が出て来たが、これが化けそうな代物であったにもかかわらず、チルと言うんだよ、と男は言い、愛おしそうに、肌蹴た浴衣の薄い懐に抱き入れた。
老猫の次ぎに顔を出したのは、男の父親だった。」
「 海の見える窓から覗くと、舟が何艘も行き交うのが見える。店の者に尋ねると、お施餓鬼の舟だと言う。
(略)男は夜明けまで原稿用紙に向かっていた。
『昨日の舟を見ていて、きみを主人公に書けると思って(略)途中から、亭主役の爺さんのほうに重みが掛かって仕舞った。(略)』
(略)いくら短編でも男が一晩で書き上げたことには、少なからず驚いた。」
他に「美徳のよろめき」や「金閣寺」、「橋づくし」らしき小説についても書かれている。
作者が某夫人のインタビューを基に、これだけの長編小説を書き上げたことに敬意を表する。
by suezielily
| 2014-10-31 17:44
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