猫を題材にした小説随筆や猫好き作家をご紹介
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猫踏んぢゃった俳句
村松友視の「猫踏んぢゃった俳句」より、目次の抜粋。
「序章 百鬼園と内田百閒のあいだ/第1章 芭蕉翁の虚実カクテル/
第2章 さすがに一茶、是に有/第4章 漱石が、名も無い猫を稲妻に/第7章 鏡花、黒猫に役を振る/第9章 芥川龍之介、我鬼の手管も猫に届かず/第11章 鬼貫は猫句においても鬼貫なり/第15章 あらうれし猫句は子規のアキレス腱/第22章 鈴木しづ子、出口のない水脈/終章 ノラとアブサン」
なお、「鳧(けり)」などの旧かなづかいの漢字がマイクロソフトでは出てこないこともある。実は村松氏の「み」の字も偏が「示」で旁(つくり)が「見」である。
本文の「序章 百鬼園と内田百閒のあいだ」より、抜粋。
「 俳句・俳諧といった領域について、まったく無知であり、鑑賞眼に関してはいっそう心細く、句会出席はおろか悪戯に句を物することも皆無に近いという自己紹介を措いて、この作品を書き出すことはできない。(略)
タイトルは『猫踏んぢゃった俳句』としたが、猫というのはあなどれぬ存在で、(略)名人上手達人に俳句のシャッターを押させてしまう強者だ。
その場面での猫を、果して、“詠まれた猫”と言うべきか、“詠ませた猫”ととらえるべきかが、本当のところは未解決である。」
「 俳句において猫を登場させるのは、その猫の内面に分け入るというよりも、五七五や季語などの枠のなかに、猫の何かを切り取っておさめるワザであるように思える。したがって、猫そのものの神秘性がつねに表現されているとはかぎるまい。『猫の恋』『竈猫』『猫の子』など、すでに季語として定着した言葉もあって、ここから打ちながめて一句詠めば、どちらかと言えば大雑把な猫のとらえ方になるのではなかろうか。」
「 百鬼園の猫を登場させた句をながめてみよう。
薮の中に猫あまた居たり春暮るゝ
別れ霜猫連れ立ちて通り鳧
土手の松に月大いなる猫の恋
猫の子の尻から出づる炬燵哉
庭先を猫歩み居り秋隣る
種豚が猫鳴きするや秋の風
(略)薮の中に猫あまた居る……というけはいには只ならぬ緊迫感があり、また芥川龍之介の匂いがからんだりもして、『春暮るゝ』とでも止めてもらわぬと、内田百閒世界へとさそわれる心持ちに歯止めがききそうにない。 」
ところでこの作品中、芭蕉や漱石などの約二十二人の俳人、文豪とその代表的な俳句と猫を詠んだ句が登場するが、他の作家の章においてもたびたび姿を現すのが村松氏の飼い猫だった「アブサン」と、内田百閒の「ノラ」と「クルツ」である。
「 百鬼園の猫の句は『ノラや』の読後感のなかにあったせいか、いささか淡白に思えた。(略)“猫”の句となれば、『ノラや』の読後感はどこまでも私にかぶさってくることだろう。(略)“詠まれた猫”をめぐる旅に、『ノラや』をたずさえ、(略)百閒先生にも同道ねがおうというのが、ここで思いついた私流の厚かましい苦肉の策なのである。」
百閒の項目だけで引用したい箇所が満載である。他の作家については、猫句のみの抜粋。
「 猫の妻へつひの崩れより通ひけり
麦めしにやつるゝ恋か猫の妻
猫の恋やむとき閨の朧月
山は猫ねぶりていくや雪のひま
はりぬきの猫もしる也今朝の秋
まとふどな犬ふみつけて猫の恋/松尾芭蕉」
「 種彦の死んでこのかた猫の恋
猫の恋猫の口真似したりけり
梅雨の猫しきりにないてゐたりしが
梅雨の猫つぶらなる目をもちにけり
叱られて目をつぶる猫春隣
いまみえてゐた猫みえず冬ざるゝ
猫けふで三日かへらず鰯雲
猫のよく眠ることよの鰯雲
秋の暮ひそかに猫のうづくまる 猫も犬もともにもの言はず秋の暮
西もひがしもわからぬ猫の子なりけり 仰山に猫ゐやはるわ春灯
汝が声にまぎれなかりし寒夜かな/久保田万太郎」
「汝が声に」の句には、「十年わが家に住みつきたる猫、トラの死をかなしむ」という前書があるそうだ。
小林一茶の猫句については、すでに他の記事で書いているのでここでは省略。
なお、「なの花も猫の通ひぢ吹とぢよ」は遍昭法師の「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」のパロディだそうである。
「里の子の猫加へけり涅槃像
行く年や猫うづくまる膝の上
朝皃(あさがお)の葉影に猫の眼玉かな
恋猫や主人は心地例ならず
のら猫や山寺に来て恋をしつ 此の下に稲妻起る宵あらん/夏目漱石」
最後の句は、漱石が「名も無い猫」の遺骸を蜜柑箱に入れて、漱石山房の裏庭に埋め、白木の角材に「漱石」の名と共に書いたという。
「京町の猫通ひけり揚屋町
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉/宝井基角」
「夕顔の花噛ム猫や余所ごゝろ
月更て猫も杓子も踊かな
順礼の宿とる軒や猫の恋/与謝蕪村」
「黒猫のさし覗きけり青簾/泉鏡花」
「序章 百鬼園と内田百閒のあいだ/第1章 芭蕉翁の虚実カクテル/
第2章 さすがに一茶、是に有/第4章 漱石が、名も無い猫を稲妻に/第7章 鏡花、黒猫に役を振る/第9章 芥川龍之介、我鬼の手管も猫に届かず/第11章 鬼貫は猫句においても鬼貫なり/第15章 あらうれし猫句は子規のアキレス腱/第22章 鈴木しづ子、出口のない水脈/終章 ノラとアブサン」
なお、「鳧(けり)」などの旧かなづかいの漢字がマイクロソフトでは出てこないこともある。実は村松氏の「み」の字も偏が「示」で旁(つくり)が「見」である。
本文の「序章 百鬼園と内田百閒のあいだ」より、抜粋。
「 俳句・俳諧といった領域について、まったく無知であり、鑑賞眼に関してはいっそう心細く、句会出席はおろか悪戯に句を物することも皆無に近いという自己紹介を措いて、この作品を書き出すことはできない。(略)
タイトルは『猫踏んぢゃった俳句』としたが、猫というのはあなどれぬ存在で、(略)名人上手達人に俳句のシャッターを押させてしまう強者だ。
その場面での猫を、果して、“詠まれた猫”と言うべきか、“詠ませた猫”ととらえるべきかが、本当のところは未解決である。」
「 俳句において猫を登場させるのは、その猫の内面に分け入るというよりも、五七五や季語などの枠のなかに、猫の何かを切り取っておさめるワザであるように思える。したがって、猫そのものの神秘性がつねに表現されているとはかぎるまい。『猫の恋』『竈猫』『猫の子』など、すでに季語として定着した言葉もあって、ここから打ちながめて一句詠めば、どちらかと言えば大雑把な猫のとらえ方になるのではなかろうか。」
「 百鬼園の猫を登場させた句をながめてみよう。
薮の中に猫あまた居たり春暮るゝ
別れ霜猫連れ立ちて通り鳧
土手の松に月大いなる猫の恋
猫の子の尻から出づる炬燵哉
庭先を猫歩み居り秋隣る
種豚が猫鳴きするや秋の風
(略)薮の中に猫あまた居る……というけはいには只ならぬ緊迫感があり、また芥川龍之介の匂いがからんだりもして、『春暮るゝ』とでも止めてもらわぬと、内田百閒世界へとさそわれる心持ちに歯止めがききそうにない。 」
ところでこの作品中、芭蕉や漱石などの約二十二人の俳人、文豪とその代表的な俳句と猫を詠んだ句が登場するが、他の作家の章においてもたびたび姿を現すのが村松氏の飼い猫だった「アブサン」と、内田百閒の「ノラ」と「クルツ」である。
「 百鬼園の猫の句は『ノラや』の読後感のなかにあったせいか、いささか淡白に思えた。(略)“猫”の句となれば、『ノラや』の読後感はどこまでも私にかぶさってくることだろう。(略)“詠まれた猫”をめぐる旅に、『ノラや』をたずさえ、(略)百閒先生にも同道ねがおうというのが、ここで思いついた私流の厚かましい苦肉の策なのである。」
百閒の項目だけで引用したい箇所が満載である。他の作家については、猫句のみの抜粋。
「 猫の妻へつひの崩れより通ひけり
麦めしにやつるゝ恋か猫の妻
猫の恋やむとき閨の朧月
山は猫ねぶりていくや雪のひま
はりぬきの猫もしる也今朝の秋
まとふどな犬ふみつけて猫の恋/松尾芭蕉」
「 種彦の死んでこのかた猫の恋
猫の恋猫の口真似したりけり
梅雨の猫しきりにないてゐたりしが
梅雨の猫つぶらなる目をもちにけり
叱られて目をつぶる猫春隣
いまみえてゐた猫みえず冬ざるゝ
猫けふで三日かへらず鰯雲
猫のよく眠ることよの鰯雲
秋の暮ひそかに猫のうづくまる 猫も犬もともにもの言はず秋の暮
西もひがしもわからぬ猫の子なりけり 仰山に猫ゐやはるわ春灯
汝が声にまぎれなかりし寒夜かな/久保田万太郎」
「汝が声に」の句には、「十年わが家に住みつきたる猫、トラの死をかなしむ」という前書があるそうだ。
小林一茶の猫句については、すでに他の記事で書いているのでここでは省略。
なお、「なの花も猫の通ひぢ吹とぢよ」は遍昭法師の「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」のパロディだそうである。
「里の子の猫加へけり涅槃像
行く年や猫うづくまる膝の上
朝皃(あさがお)の葉影に猫の眼玉かな
恋猫や主人は心地例ならず
のら猫や山寺に来て恋をしつ 此の下に稲妻起る宵あらん/夏目漱石」
最後の句は、漱石が「名も無い猫」の遺骸を蜜柑箱に入れて、漱石山房の裏庭に埋め、白木の角材に「漱石」の名と共に書いたという。
「京町の猫通ひけり揚屋町
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉/宝井基角」
「夕顔の花噛ム猫や余所ごゝろ
月更て猫も杓子も踊かな
順礼の宿とる軒や猫の恋/与謝蕪村」
「黒猫のさし覗きけり青簾/泉鏡花」
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| 2015-03-02 16:48
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